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2011年7月31日 (日)

シソジュースを飲んだ。

ピッコロでシソジュースを飲んだ。
大きなポットに入れて
机に置く。

すると子どもたちが
手に手に台所から
コップを持ってきて
各自注ぐ。

私は
「最初○○組さん」
「次は○○組さん」
と子どもたちを
順番に呼ばないことにしている。
当然、机には殺到することになる。

しかし、ほんの少し待っていると
子どもたちが自ら
次々と列を作るのだ、
不思議なことに。
私はピッコロで
「並んで」と言ったことがない。

今は1学期、
おばけ組(年少組)は
当然並ぶということを知らない。
彼らがどうするかと言うと
注いでいる人の横で
その子が終わると
次ぎに注ごうとする。

そこで私の出番。

Aちゃんの次に
注ごうとする大ちゃんに、

私「大ちゃんごめんね。
  次はBちゃんなの」

大ちゃん、残念な顔。

Bちゃんが注ぎ終ったので
次に注ごうとする大ちゃんに

私「大ちゃん、次はCちゃんなんだよね、、、。」(ごーめん)

大ちゃんまたもやがっかり。

Cちゃんの次はDちゃん、
次はEちゃん。

次々と大ちゃんの目の前で
注ぐ人が変わっていく。

しかし自分のコップには
なかなか入れられない。

あれ。

ずっとここにいても
シソジュースは飲めないのだ(!)。


で、
どうするのかと見ていると


動き出した、、、、(!)


スー、


トコトコトコ、、、、。
              

なんと、列の一番後ろに
並び始めたのだ(!)
                


(すごいでしょ、子どもって)

(ついでにトリハダだけど、、、、、)


大人の「並びましょう」の言葉がなくても
必要性を感じれば
子どもは自ら並べるのだ。
必要性を感じさせるのが
私の仕事だ。

自ら動いて並んだ子どもは
次回に並ぶことを忘れない。
なぜ並ぶのかも知っていて
並ばないとどうなるかも知っている。

並ぶということ
1つをとっても
そこに保育士の願いがこめられている。

大人に指図される前に
自ら動く子になってほしい。
自分の生活を
自分で作れる人になってほしい。


ピッコロの
子どもを信じて待つ保育は
ただただ見守っている保育とは違う。
その場をどうしたいのか
保育士がシナリオを作り、
大人の手のひらの上にのせるのだ、
その子への願いとともに。

「並んで」
という言葉を送るより
もっと大事なことがある。
                  
              

私はずっと
こんな保育をやってみたかった。

子どもはどんな存在なのかを
知りたかったのだ。


通常の幼稚園でも
やってはいたが、
何かが邪魔をした。
それは時間であり、
保育方針だった。


子どもの可能性は
思った以上に
大きい、
深い、
優しい。


そこを感じるのが
ピッコロであり、
もしかしたら、
私が産まれてきた
理由なのかもしれない、
と最近は思うことがある。

(オオゲサダケド、、、、(汗  )

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