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2011年9月

2011年9月24日 (土)

役に立つ人

オオムラサキセンター(公営の公園)の
木道を歩いていた。
右手にみみちゃん(年長)。
左手にAちゃん(年長)。
木道は狭い。

私「あーー、狭くて3人では
  通れないよーー(泣)」

どちらかが私の手を離すと思っていた。
しかし両者とも離さない。
そしてAちゃんが言った。

「私、下を歩く」

「下?」

まさかと思ったけれど
Aちゃんは木道の脇の土の上を歩きだした。
草もはえているし、でこぼこ道だ。

3人の手は確かに離れない。

なるほど。


そして木道が終わる頃に
Aちゃんが言った。

「私、人の役に立ちたいの」

え、、、、、。

突然の言葉に
びっくりした。

帰りの会、
先程のAちゃんのつぶやきがすごかったので
みんなで共有したかった。

私「今日ね、、、」
Aちゃんの話しをした。

私「人の役に立ちたいのだって」

するとまどかちゃん(年長)とみみちゃん(年長)が言った。

「私も」
「私もよ」

それは意気込んだいい方でなく
当たり前でしょ的な言葉だった。


私は女子に質問した。

私「どうして人の役に立ちたいの」

考えられる理由はたくさんある。
「褒められるから」
「大人がそう言っていたから」
「大きくなったから」
「学校に行くから」


女子は言った。

「だって人の役に立つと、その人が嬉しいから」

きたー、
と思った。


そんなチャチな理由のはずがない。
ワケはもっと本質的なところからくる。
純粋に、相手が嬉しいからしたいのだ。

そこで更に一押し。
(これが私の保育の特徴(笑))


私「なんでその人が嬉しいといいのかな」
  

女子「あのね、その人が嬉しいと
   自分が嬉しくなるの」


私「あー、そうなんだ。
  そのお友達が嬉しくなると
  自分まで嬉しくなっちゃうのだね」

と言い終わるまでの間、

言葉が震えた。
            
            

こんなに小さな子たちが。
どうしてこんなことを考えられるのだろう。

驚き以外に何もなかった。


自分の喜びより
人が喜ぶことに重きをおく。
人としてとても正しい。
しかも強制されたところから
この言葉は出ていない。

           


で、こんなにすごいことを
なんでもないかのように
サラッと言う。
彼女たちにとっては当たり前の事なのか。


なんて素敵な子どもたち!!!
こんな年長組はどこにもいない!!!
世界一いい子たち!!

完全に担任バカだ。
その域も脱しているか、、、。

今までは自分のことで
精一杯だった。
人より早くやりたかった。
人より大きいお菓子をもらいたかった。


ついこの間まで
こんな子どもらしかった彼女たちが
今は一直線に
小学校に向かっている。


その横顔が
本当にキラキラ光っていた。

あと半年たらずか。


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2011年9月23日 (金)

UTY 「山梨いまじん」という番組にでました。

ずっと以前のことですが
テレビ山梨の「いまじん」という番組に
ピッコロが映りました。

ネットでも観られるようなので
お知らせします。
今更ですが、、、(汗

8月17日放送分

http://www.uty.co.jp/imajin/


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2011年9月18日 (日)

「さようなら原発5万人集会」

どうして世界の一部の人の
金や権力の為に
普通に暮らしている子どもたちや私たちが
犠牲にならないといけないのか!!!

むかつくのでやはり行ってきます。

明日(9/19)
「さようなら原発5万人集会」(新宿区明治公園) 

http://sayonara-nukes.org/2011/09/110919_s-2/ 

東京往復、
疲れるけど、
普段できない読書の時間(?)。

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2011年9月 7日 (水)

マニュアル人間

今日は誕生会。
ピッコロの誕生会は
園庭の隅の日陰で行われる。

そして特別に誕生会にはおやつが出る。
しかもその中身は
誕生児が決められる。

今日のおやつはY君のリクエスト
桃のゼリー。

保育スタッフが作ったゼリー全員(30名)分が
大きなタッパーに入れてある。
1つの容器で作り、
それを切っただけのもの。

私「さぁ、今日のおやつは
  桃のゼリーでーす」

私はタッパーを子どもたちの前に出した。

透明なタッパーには
たくさんのゼリーが入っているのが
側面からも見ることができた。

すると誰かが言った。

「私、手、洗ってこよっ!」

ゼリーを手に受けて
そのまま食べようという算段らしい。

するとその言葉が終わるか終わらないかのうちに
座っていた子どもたちが
サーッといなくなった。
そう、
手を洗いに行ったのだ。


誕生会会場と園舎はとても離れている。
子どもたちの背中だけが
遠くに見えた。

目を細めて見ていると
半数は水道方面へ、
あとの半数は園舎に入っていく。
園舎の水道は普段使っていない。

あれ?


どうしたと思いますか。


出てきた子どもたちの手には
お皿とスプーン。

こちら上品組なり。

やはりゼリーはお皿で食べないと。
自分で戸棚から取ってきていた。


しばらくすると
誕生会会場は
お皿持参の子、
洗いたての手で食べる子、
洗わなくても綺麗だと判断し、
そのままの手で食べる子、
色々なタイプがそろった。

もちろん私は
プルプルゼリーを手に受けて
そのままぺろっと口に入れた。
ピッコロは山の生活だ。
山では手を洗う水さえない。


持っている皿の大きさもさまざま。
スプーン、フォークもさまざま。
手の綺麗さも色々(笑)。
そこには「一斉」も「みんな同じ」もない。
それでいいと思う。

しかもこの場合、
私がしたことは
ゼリーを子どもたちの前に出したこと。

それだけの情報で
子どもたち自身がこれだけの準備をした。
そこには
「手を洗いましょう」も
「お皿を持ってきましょう」もない。
ましてその場に
皿の準備も全くない。
すべて自分で考えた。


私はピッコロで何をしたいのか。

ゼリーを前にして
子どもたちには想像力が働く。

「ゼリーを食べるには皿とスプーンがいる!」
「手が汚いといやだ」(自由意志)

考えたことを実行する行動力も要する。
そして大人に
「お皿持ってきてもいい?」という確認もない。
判断力。
そして自由。
自分の食べたいスタイルで食べるのが
一番おいしいのだ。
  


2学期早々、
すごいものを見せてもらった。

目の前からいなくなった子どもたちの
背中を見ながら
ただただ嬉しい。

指示待ち、
マニュアル人間とはほど遠いからだ。
震災後、
これからはこんな人間が
世の中の役に立つに違いない。
そして何より
本人が生きやすくなる。


              

いつまでも
自分の生活を自分で作る(自律)楽しさを感じられる、
そんな人であってほしい。
人生が楽しいものになると思う。

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2011年9月 3日 (土)

充分です

Imgp0233

どこを走っても

「がんばろう東北」
「負けないぞ、石巻」

という字を目にした。

それを見る度に
心が痛んだ。

もう充分がんばっておられます。


次は私ががんばる番だ。
遅いけど(詫)。


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温度差

東北ボランティア。

日本人なら責任として
一度はこの地を見ておくべきだ、

という声がある。
5ヶ月たった今でも
それ程に胸の痛む光景があった。


しかし、目の前で流されている友を
助けられなかった男性は
5ヶ月たった今、初めて口を開く。

あんなの見ないにこしたことはない。


この温度差が
胸をうった。
                    
                  


被害のあった小学校の跡地で
和尚さんがお経をあげておられた。
献花、線香、写真の前で
時が止まったようだった。
                

ふと気付くと
湘南ナンバーのレンタカー4、5人が
写真だけ撮って
去っていった。
和尚さんがお経をあげている
そのサイチュウに、だ。

あきれて
怒りもふってきた。

              

現地で色々な温度差を感じ、
しかし驚いたことに
その湘南ナンバーのレンタカーと私は
さほど変わりないのではないか
ということにも気付いた。

(どうしよう)

                
                     
私は
「友の悲しみを人ごとでなく
自分ごとに考えられる子どもに育って欲しい」
という思いで
ピッコロの保育をしている。

言っていることと
やっていることが違うのは
どこかの政治家と同じだ。


真価が問われる時。
それは世間や他人に問われるのではなく、
自分に問われている。
 
いつも自分が見ているのだから。

(大人であるって厳しいね)


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